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zoom RSS 安土城探究の旅 1 信長はここから何を見たのだろうか?

<<   作成日時 : 2017/07/01 13:31   >>

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2017-6-17
この一年間、思わぬ家族の介護で忙しく、ようやく時間が取れて、前から念願だった安土城探究のじっくり旅をした。
琵琶湖東地区は、前に紅葉の名所3〜4を妻と訪ねたことがあるが、安土城址は寄る時間が取れづ長年心残りだった。

信長が天下統一のためになぜここを選んだのか?  同じ立地に立って是非一度確認したかった。
朝9時、安土駅着。  駅周辺の町には城下町の雰囲気は全くない! 全く ひなびた田舎町だ。
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観光案内は駅前の貸自転車屋で店番のおばあさんから聞いた。
安土山麓下までは自転車で10分かかると聞き、1日借りた。  

途中で写真の安土城考古博物館(信長の館などの資料館)が山に近い田の隅に建てられている。

現地に着いて山裾に自転車を置き、簡単で小さな事務所で入所料を払い、大手門跡地から幅広の大手道を登り始めた。
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ここは特別史跡として20年にわたる発掘調査が終了したが、まだ本格的な整備はこれからだ。
右の道端では今もなお作業中の女性がいる。
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大手道を登り始めると左側に木下藤吉郎邸跡地、右に前田利家邸跡地がある。 
 石垣も備えた屋敷跡だ。  安土城の最初の備えは若い頃からの信長腹心の二人だ。   

さらに登ると暫くして右に、伝・徳川家康邸跡地と書かれた古屋敷が見える。
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今の建物は元は信長の菩提寺・捜見寺だったものををここに移したようだ。 
 ここは例の明智光秀が、武田勝頼を織田と共に倒した家康の安土来訪の接待役として、饗応料理で信長の逆鱗に触れた場所だという。
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さらに上へ登ると、大手道の石段の礎石には地蔵石が7-8個もあり、そこには小銭のお賽銭もかなり供えられている。  築城にあたり近くは石不足だったので使われたようだ−。

天下統一を目前にした信長が天正4年・1576年丹羽長秀を総奉行にして3年で築城した。
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後ろを振り返るとかなり急な坂道で、滋賀県の研究者のグル−プも来ていた。

今までたくさんの城を見て来たが、城までの道のりの険しさは一番だった。

次回へ続く




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